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2011年10月

意拳正軌2[六合]

意拳正軌より抜粋

[六合]
六合には内外の区分がある。

心と意(精神を集中し雑念を捨て去る。あるいは精神の想像による支配)が合い、意と気(ここでは意による誘導可能な身体や森羅万象のエネルギー的なもの指し、それを利用した反応も澤井先生には気と説明している)が合い、気と力が合うのが内三合という。

手と足が合い、肘と膝が合い、肩と胯が合うのを外三合という。

又、筋と骨が合い、皮と肉が合い、肺と腎が合うのも内三合という。

頭と手が合い、手と身が合い、身と足が合うのも外三合という。

つまり神(精神意識や精神活動)と勁と光線(対象と結んだ線)が合うことである。


全身の法が総合されることを合といい、形勢が相対することは合とはいわない。

六合は人を誤らせることが有るので学習者は充分に慎重でなければならない。

意拳正軌

意拳正軌より抜粋。

五行合一

五行は、相生相克制化の母、万物発生の源でもある。しかし世俗の五行を論じる者は(中略*相生相克の説明)相生相克を唱えるが、腐り朽ちた論であり拳の理には近づきがたい。又、拳術が如何なるものか理解していない。

ある拳がある拳より生じ、ある拳がある拳に打ち勝つという論法も理があるように見えるが、もし拳の理によりこれを研究するならば、それぞれの拳の使い手が相対して攻撃するとき、どうしてそれらの事に考えが及ぶ暇があろうか?

目で捉えた攻撃に対して考えてから相手に攻撃し制するなど信じられない事である。

敵の攻撃が次々と変化するのに、どうして相生相克の説が勝利を達成する理になるであろうか。

相生相克の学問は、人を騙し誤らせること甚だしい。

苟も期せずしてそうなったのであり、すでに攻撃してくる手足が、どの様に攻撃するに至るかは分かり難く、人を制する事が出来るとは言えない。

例えば、脳の力によって推し量り心によって思いに従い攻撃が相手に到着したかを問題にしたり、技を操るのに拳の型を問題にするのは門外漢(素人)であり、拳をかたるにたりない。

そもそも拳術の五行とは、金力・木力・水力・火力・土力をいう。

つまり全身の筋・骨が鉄石より硬く、その性質が金に属するので金力という。それは皮肉が綿のようであり、筋・骨が鋼のようであることを意味する。

四体百骸(全身の意)が樹木の様に曲がり真直ぐなところが無い状態。その性質が木に属するので木力という。

神龍が空に遊び矯蛇が水に遊ぶようであり水の流れに似て自由活発に転換しその性質が水に属するので水力という。

技の始まりが弾丸が炸裂するようであり、突然動く様が火で身を焼くような猛烈異常であり、その性質が火に属するので火力という。

全身円満で、がっしり充実しており、あたかも山獄がどっしりして鋭い峰が無い所がなく、その性質が土に属するので土力という。

この五種の備えている様を[五行合一]という。

つまり不動の時も全身に一貫した力が有り、動くときには大小の関節が、上下・前後・左右の全身の関節に二つの対立する力が無い所がない。

これはあたかも、全身の天地開闘の力を得ることが出来たかのようである。

*誤字脱字解りにくいのはご了承ください。拝

王薌齋

王薌齋を検索してたら、澤井先生の打拳が炮拳の様なのに「崩拳」だと言っているのは間違って習ったのではないかとの門外的指摘が有りました。

形意の五行説は後づけだとの見解も有りますが、意拳の場合は崩は木の精を意味し、木の精である崩拳の形以外の全てが内包された意念を使えば、どのような形で打とうがそれを崩拳と呼びます。

そもそも形意の五行や十二形を別けて使うなど初心者的発想です。

自分もそうでしたが、形に囚われていると形意が使いにくいとか別けて使うとか思ってしまうのかも・・・・・

初心者に混ぜた事教えてもしょうがありませんが(笑)。

何で攻めるのかわかってもニュアンスが違えば受けにくいですし、色々な精や性で攻める戦略でも有るわけです。

因みに精は木火土金水を指し、性は動物の獣性や勢を指します。

一応、崩拳はこれを練るという技法は太気に存在してます。

門外の方は意拳や太気を突っ込みたいのは解りますが・・・・・

でも太気や意拳をあまり知らずに練習している者は、そんな突っ込みに困ってしまうんでしょうね。

又、形意に限らずですが裏・表の動きが最低限あるわけで、崩拳の裏の動きはアッパーの様に下から打つわけです。

意拳では下から上に使う力を龍法。上から下に使う力を虎法と類別したりもします(人により技法で分ける人や体幹の使い方を龍法・四肢の使い方を虎法と言う人もいる)。

*現在、養武禅では体幹の使いを龍勢・四肢の使いを虎勢で表しています。

武の大事

太気拳の澤井先生いわく、太気拳は「気と気分が重要」といってます
(この場合の気は魚が、何かに反応する様との意味で使われています)
というか、「それだけだ」と。

又、中拳には一線を越える時の気分として、「冷たく狂う」・「静かなる狂気」という表現もありますね。

王老師いわく「鯉が居る池に石を投げた時の鯉の変化する反応が気だ」と説明しています。
要は魚が普段は水の中でゆったりと泳いでいても、石を投げいれた水の変化に体を切り返す様を、
我々が空間にも水の様な意識を張りながら自分の反応に利用し、
自分の腹の中の丹田に魚がいて体がその魚の反応で動く様に使うとも解釈できます。

養武禅ではこの[]を陰陽図の境と考え、
体幹や四肢の左右・上下・前後・斜め等全方位に陰陽が切り替わる核に成っています。

陰陽の切り替わりは、「ゆったり」と「小石」が肝ですね。

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